シリーズで戦前の大富豪本多静六の著書
『私の財産告白』
に焦点を当てながら
お金とは?
ということについて考えています。
最終回の今回は、いよいよ本多式投資法に
迫っていきましょう。
その前に、ちょっと復習。
前回までは、4回にわたり、
「なぜ、貧乏を脱出しないといけないか」
ということの理由について、考えてきました。
清貧である
(貧していながらも品位のあること)
という人が全くいないわけではありません。
しかし、ほとんどの人々は
「貧すれば鈍する」のであり、
そのメカニズムは行動経済学の
【トンネリング】
で説明できる、とお話ししました。
そして、トンネリング脱出には、
①勉強・自己研鑽
②楽天的思考
③愛情・支援
が必要だ、と考えてきましたが、
最も大切なことが他にもあります。
そう、
「お金を持つ」
ということです。
本多博士は、
【トンネリング】にならないために
お金持ちになる決心をするのです。
「本多式四分の一貯金法」とは?
本多博士は、
投資によって巨万の富を得ました。
しかし、そのいわゆる種銭というものは、
全て地道な貯金
によって形成されたものであり、
何ら恥ずべきことでも何でもない、
と堂々としています。
それが、「本多式四分の一貯金法」
です。
これは、非常に簡単で、
①全ての通常収入は天引き25%貯金
②臨時収入は、まるごと全部貯金(100%貯金)
③翌年以降の利子・配当金などは、①に含める
④帳面買い(今のクレジット決済)でなく、現金買い
という4つのプロセスで出来ています。
この特徴は、③です。
つまり、
利子・配当金なども通常収入に入れるので、
月給が同じでも毎年少しずつ生活資金が増えていくのです。
「初年度が一番つらく、だんだん楽になる」
という仕組みは、なかなか面白いと思います。
「本多式4分の一貯金法」を深読みする
と、ここまでは、
よく投資ブロガーさんやネットでも
説明してあります。
でも、連載9~10回目で
明治・大正物価に慣れた読者の皆さんは、
もっと具体的に踏み込んで考えてみることが出来ます。
(EMIKO式物価換算法:
「〇円」⇒「〇万円」
「〇銭」⇒「〇百円」と考える)
明治25年、25歳で東大助教授となった本多博士は、
年俸800円もらうことになりました。
今の800万円世帯ですね。
まあ、そこそこのアッパーミドルです。
しかし、製艦費(軍艦費)・恩給基金の控除等
があって、実際の手取りは月給58円。
家族9人では
(本多家族プラスα
書生さんや下女もいたんでしょう)
一杯一杯どころか、
どうにも首が回らんなかで
25%の14円50銭を貯金した、
どうだスゴイだろう、ということです。
ですが、現代の25歳月給を考えてみても、
残りの43円50銭での家族9人生活、
というのは極貧、まではいかない
ということが読者としても
これでお分かりになるかと思います。
そして、25歳にして現在の14万円を
毎月貯金できていた、これをそのまま
現代で適用しようとすると、
現実的に出来るのは
外資系エリートサラリーマンか
実家暮らしの独身サラリーマン
くらいでしょう。
一般の人が本多式貯蓄法をしようと思っても
なかなかできないのは、
そもそも本多のインカムのボリュームが
それなりにあった、ということは考慮に入れる必要があると思います。
しかも本多本人は貯蓄していなかった!
そして、この本多式貯蓄法、
本書を読み進めると、
とんでもないことが書かれていることに
読者は気づきます。
「私は(貯蓄法の)発頭人であり、
家計は一切妻に託したので、
比較的に平気ですまされた。」
ナント!?
本多は奥さんに家計丸投げで
貯蓄をしたのは、
実は奥さんだということがここにきて判明!!
し・か・も!
「和綴(とじ)になった
何十冊もの大きな帳面と関係書類は」「家計簿の第一冊から
何円何十銭の収支が巨細にわたって
キチンと記入され」「どの年の決算をみても、
一目瞭然しかも、
我が女房を褒めるでないが、
堂々たる男まさりの達筆でしたためられている」
はー、なんじゃそりゃ!?
要するに、男勝りの肝っ玉母ちゃんが
きっちりばっちり!
家計を締めあげたからこそ成し遂げられた、
ということなんですねえ。
投資ブロガーさんの中には、
手放しで本多式貯蓄法を称賛している向きもありますが、
肝心なここのところを見落としてはならぬ!
と思います。
ということで、結局は
本多のすごいところは、
「貯蓄法を妻に指示した」
というところと、
「その種銭で投資をした」
というところにあります。
と、ここにきて、投資法を紹介すると
とても長くなることが発覚。
今度こそ本当のシリーズ最終回、
本多式投資法の「投資術」は次回に持ち越します。
お楽しみに!